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高松高等裁判所 昭和24年(控)1053号 判決

控訴人 被告人 田本忠一

弁護人 森一朗

検察官 大前滝三関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人森一朗の控訴趣意は別紙に記載の通りである。

一、緊急逮捕なるものは憲法違反であるとの点について

刑事訴訟法第二百十条は検察官、検察事務官又は司法警察職員は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由がある場合で急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げ被疑者を逮捕することができる。この場合には直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならない。逮捕状の発せられないときは、直ちに被疑者を釈放しなければならないと規定して緊急逮捕を認めているが、かような緊急逮捕もやはり逮捕状による逮捕と考えるべきであつて、憲法第三十三条の精神に反するものとは解せられない。緊急逮捕と刑事訴訟法第百九十九条の通常逮捕との差異は逮捕状の発付が逮捕の事前であるか事後であるかの点である。しかも事後とは言え逮捕に接着した時期において逮捕状が発せられる限り逮捕手続としては、全体として逮捕状に基くものと言うことができる。従つて緊急逮捕は必ずしも憲法第三十三条に違反するものではない。

二、本件記録を精査し各証拠を検討するに、原判決摘録の証拠により、昭和二十四年四月六日午前八時頃司法巡査阿川晋一、同酒卷昭夫の両名が、被告人が本件棕梠皮を窃取するのを見た小畠博邦の知らせにより、原判示被告人方に同事件につき被告人の任意出頭を求めるために私服で行き、身分を告げて「棕梠皮のことにつき一寸駐在所まで来て貰いたい」と言つたところ、被告人は病気と称してこれに応ぜず、阿川巡査は被告人が嘘をついているものと思い、再び「来て貰いたい」と言うと、被告人は顏をみせず大声で「行けないから行けぬ」と叫ぶので同巡査は証拠隠滅、逃亡のおそれあると思い、「任意出頭してくれなければ緊急逮捕する」と告げ、被告人が裏から逃亡するのを防ぐため、表に出た途端、女の人がその戸を閉めたので同巡査は「何故閉めるのか開けろ」と言つたが応答なく、この間戸外にいた酒卷巡査は被告人が逃亡するかも知れぬと思い、同家の裏に廻つた。それから五分位して表戸が開き、この音に酒卷巡査も表に廻つた。この時被告人はつつじの棒を持つて出て来て、「逮捕するならしてみよ」と矢庭に阿川巡査の頭に殴りかゝり、「お前等を先に殺してしまう」と暴言を吐き、同巡査は体をかわし、被告人と両巡査との組み打ちとなり、高さ三尺の崖下に三人一緒に落ちたが結局被告人は組み伏せられて手錠を入れられ、その間酒卷巡査は被告人に引つ掻かれて右頬挫創、口腔粘膜挫創の加療二週間を要する傷害を受けた。

右のような原判示第二事実に要約されている事実を認め得るのであつて、たとえ被告人において真に証拠隠滅、逃亡の意思がなかつたとしても、右両巡査の緊急逮捕行為は正当な職務執行々為であり、現に同日右逮捕につき脇町簡易裁判所より裁判官の逮捕状が発せられておる。被告人の右行為は右公務執行の妨害罪と同時に傷害罪に当ること明瞭である。右両巡査の行為が職権濫用による不法行為であり被告人の右行為はこれに対する人権尊重の信念より出た正当防衛行為とは認められない。

三、記録に現われている弁護人援用の事実その他諸般の情状を考慮するも、本件棕梠皮五百九十枚と百二十枚とを窃取した森林窃盗罪、公務執行妨害罪、傷害罪等により原審が被告人を懲役十月に処したのを量刑不当とは認められない。

論旨はいずれも理由がない。

その他職権で調査するも原判決には刑事訴訟法第三百七十七条乃至第三百八十三条に規定する事由が認められないから、同法第三百九十六条により本件控訴を棄却する。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人森一朗の控訴趣意

第一の森林法違反は之を認める。控訴の趣意は犯罪の数量価額や犯罪の性質、被害弁償等の事実により情状酌量の上相当なる御裁判を求め度い。即ち原審の量刑につき御考慮を求めるもの。

第二の公務執行妨害と傷害の点は、A 無罪である。事実に対する誤認もあり、法律の解釈適用も誤つている。此事件は巡査阿川晋一、酒卷昭夫の両名が被告人の第一犯罪事実に対して緊急逮捕をなさんとしたものであるが緊急逮捕なるものは憲法違反であるのみならず、本件の具体的場合としては明らかに巡査の職権濫用である。即ち当時被疑者であつた本件被告人は一定の住居を有し逃亡等の虞れ全々ないものであつて、急速を要して裁判官の逮捕状を求めることができない場合ではない。土地の農民が山の棕梠皮を盗んで剥ぎ取つた事案で、現認者もあり証拠物件も残つている。犯人も定住者である本件に、刑事訴訟法第二百十条を適用せんとするのは無理である。猶逮捕せんとした両名の巡査は其理由すら告げなかつた疑があり、殊に阿川巡査は太い杖を携行して居た。被告人は両巡査の行為は正しく急迫不正の行為と信じた。此被告人の心理を裏付ける状況は、新憲法発布以来政府は新聞、ラジオ其の他の機関を通じて人権の尊重を高調し特に被疑者の逮捕には裁判官の令状を要する旨を教えて居るので、人民の脳裏には深く此事が滲透して居る。成る程被告人は第一事実の罪は犯して居たには間違い無いが、さりとて両巡査の為した逮捕は法理念としては許されないもので不法行為であると謂わなければならない。果して然りとすれば、被告人の所為は公務執行妨害にはならない。次に巡査酒卷昭夫が受けた負傷は、被告人が与えたものではない。頬部の傷は被告人と取つ組んで低い石垣から転落した際の擦過傷であり、口腔粘膜がいたんだのは同巡査が被告人の咽喉締めをしたためもがいた被告人の手が入つたもので、被告人には殆んどその意識が無い。猶被告人も亦転落した際に負傷をした。以上のような関係で第二事実については先づ無罪を主張するのであるが、

B 仮りに法律上第一事実のみならず第二事実も有罪なりとせらるゝ場合、少くとも被告人を逮捕せんとした巡査に相当なる過誤がある本件について、充分科刑の酌量さるべき事案で一審の刑は重きに失する。

第一事実が山仕事の不正行為であり被害も弁償され、被害者は全然所罰を望まない点と共に、第二事実につきても叙上の事情を御考察相願い、予備的の御減刑を願い上げます。

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